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医療について考えたい。蘇生はしたくない。

 投稿者:加藤順子  投稿日:2011年 9月13日(火)08時09分32秒
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  加藤順子。本名は三村順子です。ほんの9日前、人生を共にしてきた人を亡くしました。人の最期を初めて看取りました。その死はあまりに壮絶で、蘇生術は、安らかに死に逝く人の尊厳を奪っていると思いました。

今回は大腸がんを手術しましたが、その手術もいらなかったと思います。
肺が悪くなって、入退院をくりかえしていましたが、今年になって、心臓、腎臓、と多機能が悪くなって、どこかを治療すれば、そこかが駄目になる。。。。
私は、彼をポンコツと呼びました。
太く短く生きた人生でしたから、身体が磨り減っていたのでしょう。
地震の前日にICUに入り、311の日はICUで危篤、余命宣告を受けました。
私は気が動転して、税務署に向かうタクシーの中で、あの地震がやってきました。

数日経って、地震のおびただしい被害が映像で映し出されると、病院のベッドで死ねるなんて、幸せなことなんだと思いました。
津波の被害者の方の無念さを思えば、一瞬にして奪われてしまった命のやるせなさに比べたら、手厚い医療を受けて死ねることはなんて、ありがたく贅沢だっと思ったのですが、、、。また価値観が変わりました。

今回、病院に死にに行ったのですが、そこまで、彼も私も覚悟ができていなかった!
万が一の時のことを想定していなかったので、勉強不足でした。


以下、NFR(蘇生術なし)についてのサイトからの引用です。

日本の医療はまだまだ医療者側、特に医師の判断で医療処置が進む事が多い。そして多くの場合延命に第一目的が置かれる。それは出来高払いの日本の医療制度が多少なりとも影響していることは否定できないだろう。

現代の医療は確実に多くの人の命を延命できる。命のどこに価値を置くかを個人がしっかり見極めていないとわけのわからないまま、本人の意思はまったく入らないまま、医療だけが進んでいく。

自分が、そして自分にもっとも近しい人がどのように亡くなっていってほしいのか……元気なときには考えたくないし、病気になったら話したくない内容であるが、だからこそ普段から日常のなかで考えてみる必要があるのではないだろうか?


 
 
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