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過誤があっても自由が一番

 投稿者:武田勝道(管理者)  投稿日:2004年11月18日(木)18時19分14秒
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  昔、ソビエト連邦が輝いていた頃、名前は忘れましたが有名な女性評論家が次のように発言していました。
「言論の自由は、公表の方法が保障されて本当の言論に自由といえる。」というものでした。ソビエトは、紙や印刷機が提供されているから、真の言論の自由があるというのです。

バカですね。紙や印刷機が管理されている国、それが仰々しく言論の自由のために国から提供される国、そんな国は、言論が管理されている国だと分からないのでしょうか。言論の自由を保障するために紙や印刷機を提供する社会、その詭弁。終戦後の進駐軍(敗戦後の占領軍をこのように表現していました)は、検閲するに当たり、検閲した痕跡が残らないように報道機関・出版社に要求したアメリカ、その欺瞞。体制の如何を問わず詭弁や欺瞞はありますが、全体主義体制のときその弊害は決定的になります。

言論の自由、これはアングラで言論を公表する方法があるか否かが一番大切なところです。日本では、何日か肉体労働をすれば、その報酬で完全に匿名で紙も印刷機(パソコンとプリンタ)も購入できます。与えられるのではなく金で買う。監視環境のない社会で金で紙と印刷機を買うことができる、これが言論の自由の前提です。隣近所が監視する社会か否かは重要です。私は、現在、600戸程度の町内の町内会長をしていますが、窮屈な隣近所にならないように注意しています。日本社会は、油断すると隣近所が自由を奪います。戦時中の全体社会は、隣近所のおばちゃんおじちゃんが作ったのです。本願寺教団の基幹運動は、このような監視運動になっていました。私の案内状事件もこの文脈の事件でした。加えて、被差別部落の言葉があるのを、研修会への人寄せに差別を利用したと指摘した方がありました。現在、差別のない社会を実現するためといえば、内容がデタラメでもマスコミがすぐ取り上げます。私は、差別を人寄せや売名に利用するのはどちらかと反論したい。
 
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