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新潟教区の方々へお見舞い申し上げます

 投稿者:武田勝道(管理者)  投稿日:2004年10月25日(月)22時01分14秒
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  新潟教区の皆様は、このたびの中越地震で甚大な被害を受けられ、心よりお見舞い申し上げます。頑張ってください。

早速、義援金(義捐金)をお送りしようと準備しております。

ここで、一言多い私の世渡り下手があらわれるのですが、本山・教区からの要請を待って別院に持参しようと思います。義援金はたくさん出すのが良いのだ、四の五の言うなと正義の方々に非難されるのを承知で述べます。私は、阪神大震災の折、即座に義援金を広島別院に持参しました、その後、本山から義援金の割当が参りました。先に持参した義援金はその金額にカウントしない。この割当は、強制ではないとのコメントが付いていました。私は、いち早く持参した義援金をカウントしないのはおかしいと広陵東組の会合で述べました。その時は、この割当が強制ではないということでうやむやになりました。しかし、その後、数年にわたり催促がありました。私は、断固拒否しました。まだ、他の教団を通じて寄付したほうが、私の気持ちを納得させます。金額の多少ではありません。いち早く届けた義援金をカウントしないやり方は全くナンセンスです。割当より多額の金額を義援する場合でも、いち早く届けた金員をカウントしないのはおかしいとおもいます。金額ではないと言われる方があれば、では、宗門がそもそも金額を指定して割当ることこそおかしいと述べておきます。

それでも、やはり早く義援金を持っていかなければと思います。宗門の弊風の是正を待てないでしょう。そして、宗門はこのままです。

阪神大震災の時、案内状「差別」文書事件の中山知見広島別院輪番は、本山の部長でした。1995年当時の本山の総局・部長の顔ぶれを見ると、ああ、あの頃は、基幹運動全盛期だったなと思います。酒生宗会議員除名事件は1994年でした。立派な方もいらしたが、差別問題を上手に利用する方がずいぶんいました。不幸な時代でした。あのころ、武田昭英宗会議員に、「酒生さんがエッタと言ったか言わないか知らないが、除名の手続がデタラメだ。あなたも、広島で同朋三者懇に批判された体験があるのだから、あのようなデタラメをしてはいけない」と強く非難しました。武田昭英は、あの宗会は異様で、発言できるような雰囲気はなかった。一言でも発言しようなら、発言者が差別者のレッテルを貼られる状況だったと弁解しました。宗会で、一人も反対票を投じた議員がいなかったのですから、武田昭英宗会議員の言うとおりだったのでしょう。

私は、宗門がなかなかまともな意見が通らない世界だと痛感します。ご門主が、玉手箱を放棄されるか、光瑞前々門主のように宗門から追放されるような思い切ったことをされないと、現在の門主制は、宗門の命を短くすると思います。次善のチョイスとして、ご門主に望みたいのは、ご門主の一番嫌いな人物を玉手箱にお入れになることです。そうすれば、宗門は、「少し」まともになると思います。
 
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