teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]


「零戦二一型再現計器板」

 投稿者:A6M232  投稿日:2015年12月23日(水)00時06分13秒
返信・引用
  「零戦二一型(ラバウル工廠・複座改造型)再現計器板」
世の流れは自分の都合よく行かないもので・・・
9月には零戦の傍らに展示されると私から聞いていらした方にお詫びです。
科博に寄贈した計器板なのですが、今年の予算計上に組み込めず展示は見送りとなっています。
機体横のスペースに置くだけでも・・・と考えてしまいがちですが、そこは国立ですからそんな簡単には行かな訳で・・。
先日お会いした科博の鈴木先生が開口一番「計器板、申し訳ないね・・・」その後内情を説明下さり・・大変恐縮でした。
しかし有識者が集まるその後の一席である提案が・・・じゃ企画展で「中村コレクションを展示で」と・・・(^^ゞ
大変有難い申し出で恐縮ですが、これまた計器板と同じで私はOKなのですが実現できるかどうかは様々な兼ね合いで判らないので、私の法螺話としてでお願いします・・・笑

ちなみに寄贈 時 計器板と書いているのは、フットバー装着等バージョンアップを目指しているからです。甲斐性ナシ故の資金不足・無節操に手を出す偏狭マニア故の時間の無さ・蒐集家故の手持ち計器との葛藤・形状だけでも本物通りでないとイヤ等・・・(笑)色んな問題山積の上に人間的にも家長としても問題ありな輩な訳で進んでいない訳ですが、細々とライフワークとして考証度を高めて行ければと考えているからです。

よく奇特な人と言われ資金面等で疑われますが(^^ゞ(小遣い以外は全て仲間内での技術面とのバーターで成り立っている)、国立と名のつく博物館に良く悪くも当時を代表する立派なオリジナルの航空機が在って、外見は何とか大丈夫でも残念ながら当時の姿を留めていない操縦席が在れば何とかしたいと思うのが計器板マニアじゃありませんか!・・・笑

さて長々書きましたが「そもそも展示されるまで黙っておけば問題無い話でして・・・はい!全て言い訳です、申し訳ありませんでした」と言うところがオチです(^.^)
失礼いたしましたm(_ _)m
 
 

seraさんの自費出版本

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2015年 7月 8日(水)22時11分28秒
返信・引用
  seraさんの集大成がようやく形になりました。
ご興味ある方は是非です(^.^)

写真は我が家に届いた「緑十字機の記録」
1枚目は陸攻とは関係ありませんが2枚目は私が僅かに持つ1式陸攻関連部品で後部席の補助計器板です、 緑十字機の記録でもキーとなる燃料計が着いています。

以下著者からの情報です。
---------------------------------------------------------------------------
郷土史、「緑十字機の記録」を自費出版し、一部を皆様に原価でお分けします。購入を希望される方は、下記手順で申し込み下さい。

尚、製本上がり日は7月6日です、入金が確認され次第順次発送します。販売数量は200冊強を予定しています。


製本原価は1950円、売価は2000円で、利益は全くありませんので、増刷する予定はありません。

このブログとface bookのみでの公開ですので、完売する事はないと思います。
冊数には十分な余裕があります。

いずれにせよ、増刷する予定はありませんので「売り切れ終い」となります。

自費出版本であり、書店では販売していません。

「緑十字機の記録」概要

1.四六版 362ページ 全て降伏軍使機である「緑十字機」に関する文章です。

  ・第一章 緑十字機、鮫島海岸に不時着す  204ページ

 昭和20年8月20日夜半、磐田市の鮫島海岸に不時着した降伏軍使を乗せて伊江島まで飛行した、日本海軍の緑十字機(一式陸上攻撃機)に関するノンフィクション、ドキュメンタリーです。  あくまでも、郷土史として不時着した地元磐田市と浜松市での救援活動を中心に書いていますが、マッカーサーの降伏軍使派遣命令を受けて木更津を離陸する経緯から、マッカーサー厚木着までの前後の一連の経緯を回想録に基づき描いています。  緑十字機の飛行の意義と、成果の全容が分かる内容であり、これまで語られた事の無かった史実を、関係者の回想録と証言に基づいて記載しています。

   ・第二章 [検証]緑十字機、不時着の謎   51ページ

 緑十字機は何故、燃料切れと云う信じられない原因で不時着したのでしょうか。郷土史として書き始めまた本であり、航空機に関する知識が全くありませんが、執筆する過程で、不時着原因に関する大きな謎が存在している事を知りました。  この謎を避けて出版する事は出来ず、あくまでも仮説として不時着の謎を検証し、問題提起する内容です。この仮説により、皆様による謎の検証のきっかけとなればと思います。

   ・第三章  回想録・証言集   94ページ

 収集した関係者27人分の証言や回想録を掲載しています。

【購入方法】

 1.メールでお申込み下さい。  sera2@sf.commufa.jp

  ※メール対応が出来ない方のみ電話でお申込み下さい。
   電話 0538-34-1043

 2.この時に下記情報をお伝えください。
        1.発送先の、住所と郵便番号
        2.発送先の、氏名
        3.電話番号
        ※振込名義人と発送先が事なる場合は明記して下さい。

 3.折り返し、在庫の有無をお伝えします。
        ※必ず、折り返しの連絡を受けてから入金して下さい。

 4.下記、口座へ代金を振り込んで下さい(振込費用は負担下さい)

   ・静岡銀行 磐田支店(321) 普通 0497035  [口座名義] 岡部英一
   ・代金は1冊2000円 + 送料です。

   1. 1冊の場合 2000円+レターパック360円=2360円
   2. 2冊の場合 4000円+レターパック360円=4360円
   3. 3冊以上の場合の送料は、クロネコ便着払いでお願いします。

       ※磐田市内手渡しの場合は、送料無料です。

5.入金確認次第、発送します。
 

Re: 整備参謀、小長谷少佐

 投稿者:sera  投稿日:2015年 2月 9日(月)23時50分8秒
返信・引用 編集済
  広瀬寿秀さんへのお返事です。

広瀬様、大変貴重な情報ありがとうございます。
小長谷睦治少佐は、複数の緑十字機二番機搭乗員の回想録に登場しますので、
お名前だけは存じあげていました。

小長谷少佐が、昭和20年8月19日に、木更津航空隊の輸送機隊指揮所前に整列した搭乗員を
写した写真と、駐機場で待機している緑十字機を写した2枚の写真は、
「当時の生存者がおられましたら渡して下さい」との小長谷氏のご厚意により、
平成元年に、二番機搭乗員の河西主操、安念搭乗整備員、小柳搭乗整備員の手に渡りました。

その時の感激を安念搭乗整備員は
「写真を見た搭乗員達の喜びと感激は、大変なものであり、思わず万歳の声となった。」
と回想録に記しています。

平成元年に「私の海軍時代」を自費出版されたとの事ですが、時期的にも合致します。

早速、「医学探偵の歴史事件簿」を購入すべく手配しました。
また、小長谷正明氏にもアプローチしてみたいと思います。
情報、ありがとうございました。

http://blogs.yahoo.co.jp/sakaisouga/10425954.html

.

sera  岡部
 

Re: 整備参謀、小長谷少佐

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2015年 2月 1日(日)06時36分46秒
返信・引用
  > No.3627[元記事へ]

広瀬寿秀さん

情報ありがとうございます。
岡部氏の書籍補完に期待してしまいます。

今後とも宜しくお願いします。
 

整備参謀、小長谷少佐

 投稿者:広瀬寿秀  投稿日:2015年 1月22日(木)20時01分40秒
返信・引用
  以前、ここで緑十字機で投書した者です。「医学探偵の歴史事件簿」(岩波新書、小長谷正明著)を読んでいると、小長谷先生の父親、小長谷睦治少佐が、第三航空艦隊の整備参謀として、緑十字機の整備を命令した旨の文章が目に留まりました(P64)。ボロボロの爆撃機3機を整備したとの記載があります。調べると小長谷少佐は、平成元年に自費出版で「私の海軍時代」を出しているようで、その中に緑十字機の章があるようです(未見)。小長谷先生は鈴鹿病院長でご存命なので、「ただ若き日を惜しめ」に記載されている以外の当時の資料をお持ち、あるいは話を知っているかもしれません。  

講演会

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2014年10月 5日(日)20時28分13秒
返信・引用
  10月19日(日)
「プレーンズ・オブ・フェイム航空博物館における日本機の復元について」

http://tam-web.jsf.or.jp/contx/modules/myalbum5/viewcat.php?cid=1&orderby=dateD#9756fa9072cd2c709fb099253931a58d63f08044

零戦復元状況、秋水操縦席内・雷電後部胴体内写真等未公開画像多数

http://www10.ocn.ne.jp/~a6m232/

 

説明会終了

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2014年 3月23日(日)16時44分38秒
返信・引用 編集済
  『三菱4240号と現物資料』ご参加いただけた方お疲れ様でした。
皆さんに伝えたいと事前に考えていた思いは半分ぐらいしか出てきませんでしたので反省です^^;

しかしながら機体と共に命を懸け飛んでいた搭乗員を支えていた、前線における整備員の方々の涙ぐましい奮闘!、生産現場での強い期待と思いを反映した機体面で痕跡と生産現状、これらの事を最低限でしたが何とか伝えられたかと考えています。
今後は同じような事例を体感できる機体が上野にもありますので計画し、私が持つ先に話した様な情報を皆さんにお伝えできればと考えています。

現物は帰宅後早速腐食防止で処置を完了しています^^
今後ともこれらの遺物を持つ身として、日本人の涙ぐましい努力の背景を機体来歴と共に伝えて行ければ幸いと感じています。
 

説明会(明日の話で唐突で申し訳ないです^^;)

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2014年 3月22日(土)14時16分14秒
返信・引用 編集済
  【説明会のご案内】

中村泰三(零戦計器板制作者)『三菱4240号と現物資料』

日時:3/23(日)午前9時~(参加者のご要望により8時を9時に変更しました)

集合:靖国神社遊就館前(雨天時遊就館横販売機コーナー)

説明内容
4240号機の戦後も飛行していた経緯から、回収復元を簡単に説明して手持ち現物部品を説明をする予定です。

参加人数によって持参予定の現物資料の増減を考えています。
その為に参加希望の方は「参加」とだけでも十分ですので連絡頂ければ幸いです。

※直前中止有(中止時此処にて連絡)
※靖国側に許可を得ていない為個人的な通常の見学範囲内での説明会となります。
※人数によっては遊就館前にて説明もしくは遊就館内では少人数に分けて機体傍での現物との比較説明とします。
※要注意点:私は零戦に対して極々限った事しか解りません、多方面の詳細な問いには返答致しかねます。
※参加費等無料、心付け等も絶対に不要。

現物資料は添付写真中から何点か選んで持参します。申し訳ないですが第一隔壁は現状分割されたままですので処置を予定しています。よって今回は写真のみの持参とし次回以降を目指します。

予定資料一例
4240左主翼1番リブ        4240右主翼2番リブ(車輪懸吊止鈎補強部品×2)
4240 7.7粍弾殻放出筒    4240左主翼 13番~12.5部分主桁隔壁
4240左フラップ9・8番リブ   4240左脚収納庫後縁部材
4240主翼補強材             4240外翼タンクパネル受け補強材
4240左脚庫内壁         4240主翼中央結合部、前桁後部部材
4240左主翼後縁 19・18・17番部分(補助翼操作装置19番)
 

Re: 61-120 = TAIC5 = No.29

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2014年 3月20日(木)21時12分14秒
返信・引用 編集済
  > No.3619[元記事へ]

Summerさん

方向舵のパッチと仰っている部分ですが、方向舵の金属銘板を確認できるようにする為の窓(アクリルもしくはセルロイド板)ですね。
 

Re: 61-120 = TAIC5 = No.29

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2014年 3月20日(木)18時33分39秒
返信・引用
  > No.3619[元記事へ]

Summerさん

ご紹介ありがとうございます。

フェイスブックの人間関係の広がり故の情報量は凄いです、私は完全にツイッターとフェイスブックが主になってしまって掲示板はご無沙汰で申し訳ないですが・・・

TAIC5 と120は他の点から判明していたことを友人から聞いていました、私も去年関わった所沢での弾痕パッチで合致していますので確証を得ていました。

しかし120の透けまで見える写真が簡単に見られる時代になったとは感慨深い事です^^

他にもアクタン零の右翼爆弾投下機後部取り付け部片側を利用した何かの装着とか、61-120がテスト時の爆弾投下機前方取付金具のみ残って不完全なのに吹き流し用の滑車金具が完全に着いていたり等々情報量が満載です^^

Summerさん、今後とも宜しくお願いします。
 

61-120 = TAIC5 = No.29

 投稿者:Summer  投稿日:2014年 3月12日(水)09時26分40秒
返信・引用
  TAIC5は No.29と同一機だろうと思っていたのですが、この写真で納得です。
 上はA6M232さんがフェイスブックに紹介した写真群の内1枚の部分(縮小)です。TAIC5の背後に「120」が透けて見えます。下は「零戦と烈風」(航空ファン1964年増刊号)の表紙。方向舵のパッチが一致します。

https://www.facebook.com/taizou.nakamura.5
https://www.facebook.com/groups/A6MZero/permalink/1417832905133367/
http://www.warbirdinformationexchange.org/phpBB3/viewtopic.php?f=3&t=51661
 

Re: 緑十字機パイロット3

 投稿者:seraメール  投稿日:2013年11月 5日(火)08時53分57秒
返信・引用 編集済
  > No.3615[元記事へ]

広瀬さんへのお返事です。

貴重な資料の公開ありがとうございます。
緑十字機搭乗員で、現在生存しているのは一番機の副操縦員一名だけだと認識しています。
いずれにせよ、当時の様子を知っている方は、ほとんど亡くなってしましいしたので、
私が把握している内容を含め、現代に伝わっている様々な話を、完全に裏付けることは出来ません。

二番機に関しましては、昭和60年に主操縦員が当時の様子を書いて出版しています。(既に絶版となっています。)
整備員が一時操縦桿を握っていた内容は、平成7年の改訂版で補足説明されています。
別途、その搭乗整備員が昭和60年に寄稿した文書が残されており(こちらも絶版)、内容はほぼ一致しています。
何故、整備員が一時的にも操縦桿を握ったかですが、その経緯は深いものがありまして、
根底には、当時の士官と下士官の複雑な上下関係、人間関係があるようです。

いずれにしましても、緑十字機に関する情報の収集を続けていますが、把握できていない資料の中に、
意外な真実が隠されているかもしれません。
今回の広瀬様の情報は、とても興味深く拝見させて頂きました、エピソードの一つとして参考にさせて頂きたいと思います。
因みに、伊江島で撮影された搭乗員全員の集合写真の中に、もし福眞大尉が写っていたら、私の研究は根底から覆される事となります。

軍事知識の乏しい、田舎の郷土史研究が纏めようとしている本ですから、底が知れているとは思いますが、
完成しましたら、なんらかの形で公開し、それをベースにしてこの逸話の論議がさらに進み、
真実追及の一助になればと思っています。

ps.添付の写真の拡大版を福眞氏に確認して頂く事も可能です。


 

緑十字機パイロット3

 投稿者:広瀬メール  投稿日:2013年11月 4日(月)23時08分17秒
返信・引用
  弘前ロータリクラブの週報が公開されましたので、一応、福眞大尉のお孫さんの文章を載せます。http://www.rotary-aomori.org/hirosaki/shuhou-pdf-2013-14/no.8.pdf
おそらく仰るように横須賀航空隊の福眞大尉の記憶違いと思います。それにしても降伏使者を送るという国の重大任務を予備機とはいえパイロット一人で、それも整備員に操縦させていたとは、いくら敗戦とはいえ、軍の命令系統が完全に崩れていたのでしょう。重要任務の乗員編成を飛曹長が決めたとは、さびしいものです。緑十字機についての決定稿を期待しています。
 

Re: 緑十字機二号機パイロット2

 投稿者:21型大好き(sera)。メール  投稿日:2013年 9月16日(月)23時27分56秒
返信・引用 編集済
  > No.3613[元記事へ]

広瀬さんへのお返事です。

記憶や証言というものは様々な要因で事実と異なってしまう事を、緑十字機の研究の中でいやと言う程、
思い知らされました。

たとえば一番機の操縦者ですが、須藤機長に加えてあと二人が自分で操縦したと回想録に書いています。
1式陸攻の操縦桿は正副2つしかありません。
これは、誰もが主役でありたいとの思いが、そうさせているのだと思います。

それから、搭乗員仲間の名誉を守る為に、真実を伏せる、あるい逆に仲間を守る為に複数の人物が、
無かった事をあった事として同じ内容の証言する。
緑十字機搭乗員の回想録の中には、明らかにこの情報操作があります。

20年以上経過して書かれた回想録は、記憶の混濁があります。
例えば、一番機に乗っていた軍使の回想録には、不時着地点から富士山が大きく見えたと書かれています。
でも富士山は絶対に見えない地点に不時着しています。
これは、前後に経験した事との記憶が混濁していたものと思います。

また、浜松基地から飛行機で帰京したのに、汽車で帰京したと回想録に書いている人物もあるのです。

このように証言は様々な理由により、事実とは異なった形で残されています。
その中から真実を見つけ出すには、複数の証言や資料による裏付け作業が重要になります。
 

緑十字機二号機パイロット2

 投稿者:広瀬メール  投稿日:2013年 9月16日(月)21時18分23秒
返信・引用
  福真大尉についての情報はお孫さんの文章がありますが、公開はしにくいので上記メールで連絡ください。折り返し、写真で撮ったロータリー週報を送ります。
福真大尉の話は、http://www.heiwakinen.jp/shiryokan/heiwa/09onketsu/O_09_155_1.pdfにあります。こういった超ベテランの搭乗員がウソもなかろうかと思いますが、真実かどうかは、確かに第三者の証言がいることでしょう。
 

Re: 緑十字機二号機パイロット

 投稿者:21型大好き(sera)。メール  投稿日:2013年 9月16日(月)20時46分40秒
返信・引用 編集済
  > No.3611[元記事へ]

広瀬さんへのお返事です。

凄い映像の添付、ありがとうございます。

初めて見る映像です。もうひとつの映像は見たことがあるのですが、
この映像は初めてであり、思わず興奮してしまいました。
なんとしてもこの映像を入手たいのですが、この掲示板をご覧の方でそのDVDレベルでの入手方法を
ご存じの方がおりましたら、是非教えてください。

さて、二番機の主操が福眞吉次大尉とのお話しは、大変興味深く拝見しました。

同様に一番機の搭乗員で、唯一名前が判明していない搭乗整備員についても
該当者と思われる人物が見つかり、現在はどのようにして裏付けをとるかを模索している段階です。
この人物は一番機の不時着のカギを握る人物です。

有名な話ですので、搭乗していなくても自分に置き換えて自慢話をする事はよくある話です。
複数の証言や裏付け資料が無い限り、この種の話を、決めつける事は極めて危険です。

私は現在、緑十字機に関するブログ内容を全面的に改定すべく取り組んでいます。
数年前に、あのブログを書き込みしてから、かなりの新規情報を入手する事が出来ました。
その結果ブログには大きな誤りがいくつかあり、現在改定文書を作成中です。

その中で、二番機の搭乗員に関しては複数の搭乗員の回想録が見つかり、搭乗していた人物の特定は
ほぼ終了したと考えています。
5名が搭乗した二番機だけでも、河西機長、種山電信員、安念搭整員の遺族と連絡が取れました。
現在は小柳副搭整員の遺族と接触を図っている段階です。

二番機は副操は乗せずに、副として小柳搭整員を追加し、搭整員を二人体制で飛行しました。
高橋副操は搭乗していなかった事が判明しました。

河西飛曹長は森大尉の同意が得られなかった為、森大尉に対する当てつけの意味と、
二番機の機体コンディションが悪かった為に、二人目の搭整員を乗せたのです。

操縦員が、河西飛曹長ひとりだった事は、複数の回想録で裏付けられています。

では、空いた副操席にだれが座っていたかですが、座っていたのは、なんと安念搭乗整備員でした。
さらに驚いた事に、河西主操の配慮で、約1時間ほどは、安念搭整員が操縦桿を握っていたのです。

現代で言えば、無資格で、大切な降伏軍使機を操縦していた事になります。
とても面白いエピソードだと思います。

この事は、伊江島で撮影された搭乗員の集合写真からも裏付できています。
私は、あと少しで全員の名前が特定できる段階まで詰めました。
従って、別途新たな資料が発見されない限り、福眞吉次大尉の可能性は極めて少ないと考えます。

但し、木更津航空隊からは緑十字の塗装をした囮機が二機、ほぼ同時に飛行しています。
この搭乗員が誰だったのか、まだ記録が見つかりません。
福眞吉次大尉が、この囮機を操縦していた可能性はありえるのではないかと思います。

写真二枚目は木更津で撮影された写真で、二番機と囮機2機、計3機の1式陸攻が写っています。
また、囮機を含め3機が、木更津工廠で塗装されたとの証言もあります。
尾翼の緑十字の描き方からして、手前の2機が囮機、少し離れて駐機している一番奥の機体が
二番機ではないかと考えています。

いずれにしましても、広瀬さんには緑十字機に興味をお持ちいただき、私としては新発見ともいえる
映像を紹介頂いた事に深く御礼申し上げます。

上記内容は、あくまでも現在入手している情報の範囲内での見解であり、新たな事実が判明した場合は、
根本的にひっくり返る可能性もありえます。

http://blogs.yahoo.co.jp/serasan0620/39955682.html


sera
 

緑十字機二号機パイロット

 投稿者:広瀬メール  投稿日:2013年 9月16日(月)18時37分1秒
返信・引用
  緑十字機二号機の主操縦士が福眞吉次大尉(特務)という情報が入りました。経歴的には完全に合いますし、サントリーのウィスキーを米国人には珍しがられたといったエピソードは当事者しかわからないように思えるのですが。どうでしょうか。
ご参考まで http://hiroseorth.blogspot.jp/
 

大和ミュージアム、将旗その後。

 投稿者:21型大好き(sera)。  投稿日:2013年 9月15日(日)20時21分11秒
返信・引用 編集済
  .

先に、大和ミュージアムに寄贈しました「太田實少将の少将旗」ほか三点のその後に関し、

お力添えを頂きました「桜と錨」さんのブログに、総括された書き込みがありましたので、

紹介させて頂きます。

ブログ  http://navgunschl.sblo.jp/article/75742529.html

HP   http://navgunschl.sakura.ne.jp/index.html



.
 

ジャンク電球100V

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2013年 8月16日(金)10時43分12秒
返信・引用
  抵抗類・圧着端子類・電球
ゴミですがもしかして???必要な方がいらっしゃいましたらと思ってヤフオクに出す前にアップしておきます^^;
必要な方がいましたら勿論差し上げます
 

ジャンク電球16~18V

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2013年 8月16日(金)10時36分24秒
返信・引用 編集済
  抵抗類・圧着端子類・電球
ゴミですがもしかして???必要な方がいらっしゃいましたらと思ってヤフオクに出す前にアップしておきます^^;
必要な方がいましたら勿論差し上げます
 

ジャンク圧着端子

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2013年 8月16日(金)10時35分24秒
返信・引用
  抵抗類・圧着端子類・電球
ゴミですがもしかして???必要な方がいらっしゃいましたらと思ってヤフオクに出す前にアップしておきます^^;
必要な方がいましたら勿論差し上げます
 

ジャンク抵抗

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2013年 8月16日(金)10時33分49秒
返信・引用
  抵抗類・圧着端子類・電球
ゴミですがもしかして???必要な方がいらっしゃいましたらと思ってヤフオクに出す前にアップしておきます^^;
必要な方がいましたら勿論差し上げます
 

Re: 大和ミュージアム

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 7月 9日(火)20時59分14秒
返信・引用 編集済
  > No.3603[元記事へ]

Y2-128さん、a6m232さん。

ありがとうございます。

大和ミュージアムへの全ての寄贈は、常設展示の約束が出来ないことが前提条件です。

大きいものなので、常設展示は厳しいものがあると思います、企画展での展示に期待しています。

大和ミュージアムの来場者数は魅力ですね、寄贈は結果オーライで満足してます。

でも、私はまだ入場したことがないんですよ。

気合い入れていった日は火曜日の休館日でした(笑)。

 

Re: 大和ミュージアム

 投稿者:Y2-128メール  投稿日:2013年 7月 8日(月)10時58分44秒
返信・引用
  > No.3601[元記事へ]

21型大好き。さんへのお返事です。

こんにちは。
色々大変でしたね。お察しいたします。

私どもの元・福岡航空宇宙協会の所有物でした大刀洗平和記念館の零戦も、サイパンから国内(福岡)に帰ってきてから、福岡の大宰府園→名古屋の空港ビル→甘木の音楽館→現在地(安住地)と展示場所では苦労しましたがなんとかちゃんとした施設に落ち着きました。(名古屋空港ビルがちゃんとしていないという意味ではありません)
零戦は筑前町に無償譲渡し、それを機に、高齢化していた福岡航空宇宙協会を解散いたしました。
大刀洗平和記念館では多くの方が見学に来ていただき安心しております。
又、A6M232さんにも記念館とは関係を持っていただき感謝いたしております。
年末には必ず零戦の掃除(触りまくり)にうかがっております。

広島に行く機会がありましたら必ず拝見させていただこうと思います。

 

Re: 大和ミュージアム

 投稿者:A6M232メール  投稿日:2013年 7月 8日(月)07時02分32秒
返信・引用
  > No.3601[元記事へ]

21型大好きさん

おめでとうございます、と・・・言って良いのやらのこれまでの様々な困難でしたが・・・
しかし信念が実って落ち着くべきところにようやっと落ち着くのかと安堵しています。
本当にお疲れ様でした。
また21型大好きさんの寄贈と言う頭が下がる行いに対して大変痛み入ります。

最後まで色々と大変でしょうが頑張って下さい。
 

大和ミュージアム

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 7月 8日(月)05時12分50秒
返信・引用 編集済
  7月1日から大和ミュージアムで「巨大戦艦大和展」が始まりました。

開館から8年で、800万人もの驚異的な入場者を記録している大和ミュージアムですから、
これでさらに入場者記録を伸ばすものと思います。

さて、昨年この談話室に書き込みさせて頂き、ご心配をお掛け致しました将旗3枚(いずれも六巾の中将旗、少将旗、代将旗)の
寄贈先に関して、最終的に結論が出ましたので、遅ればせながらご報告申し上げます。

これらの将旗はいずれも太平洋戦争末期に米軍兵士によって戦利品として米国に持ち去られたもので、
中将旗はサイパン島で回収された南雲中将の、また少将旗は沖縄戦で回収された太田實少将の、ゆかりの旗と考えられます。

これらの遺品を、次の世代に永く伝えるべく、寄贈をお受け頂く資料館を探しておりましたが、
この度、大和ミュージアムへ寄贈させていただくことになりました。

合わせて、別途保有しておりました「戦艦長門」ゆかりの「九九式測波器」についても、
将旗と共に大和ミュージアムに寄贈させていただくことに致しました。

「九九式測波器」に関しては詳しくはわかりませんが、200KHZ前後の長波用の送受信機の周波数確認校正に用いられ、
通常無線室に備えられているものです。
パネル前面に当時のペンキで「長門」と書かれており、製造年月が昭和16年11月であることから、ハワイ沖の南雲機動部隊に対し、
「ニイタカヤマノボレ1208」の電文を発信したときに使用された可能性もあるものです。


今後は大和ミュージアムによって検証された上で、企画展等で展示されるものと思います。

寄贈する将旗の内、中将旗は、宇垣中将、栗田中将、伊藤中将が指揮する艦隊(戦隊)の旗艦として、戦艦大和にもっとも多く掲げられた将旗であり、
六巾の中将旗は、沖縄に向けての戦艦大和最期の出撃時に、伊藤整一司令官(中将)の在艦を示すために、
石坂浩二氏によって寄贈された八巾の大軍艦旗と共に、戦艦大和のマストに高く掲げられた中将旗と同じ大きさのものと考えられます。

将来、今回寄贈した将旗が、大和ミュージアムの企画展で活用され、多くの方に見ていただけたら幸いです。

大和ミュージアムの様な多くの方に見ていただける資料館に寄贈出来た事は、最高の喜びです。
ご協力いただいた皆様に、深く御礼申し上げます。

 

宇佐市平和資料館

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 7月 1日(月)07時19分23秒
返信・引用
  大分県宇佐市の平和資料館で、映画「永遠の0」で使用された実物大レプリカの公開が始まりました。

正直言って、宇佐市がどこにあるのか、それ以上に宇佐市の存在自体もしりませんでした。

地図で探しました。

映画の公開に向けて、多くの人が訪れると思います。

宇佐市は安い買い物をしました。

http://blog.goo.ne.jp/gto510_2008/e/8eab9f23d42f1b1bf6b4f6cb9829fca2
 

Re: 「永遠の0」の走り書き。

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 5月22日(水)09時24分22秒
返信・引用
  > No.3598[元記事へ]

結局、左側を選択しました。

5月18日~19日に開催された静岡ホビーショー モデラーズクラブ合同作品展。

すべて零戦のスケールモデル11機と、A6M232さんから借用した21型計器板と、

私の52型計器板を展示しました。

21型は12月公開の映画「永遠の0」で撮影に使用されたものです。

52型には「永遠の0」の宮部久蔵が残したメモをイメージとして貼り付けました。

結局、手帳を破って書いた形にしました。
 

「永遠の0」の走り書き。

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 5月13日(月)18時09分10秒
返信・引用 編集済
  12月公開の映画「永遠の0」がほぼ完成したとの事。
エンドロールにA6M232さんの名前を探すのが、待ち遠しくて、待ち遠しくて。

私がめずらしく号泣した素晴らしい原作を、映像化するのは物凄く難しいと思います。
何故なら、百田尚樹氏の原作が完成度が高すぎるからです。
原作のイメージを壊さない形で映像化する、これは至難の業です。

たとえば、映画のクライマックスに登場するであろうメモです。
五二型の操縦席に走り書きで残されたメモ。
このメモはどの様に映像化されるのでしょうか。

原作では『もし、大石少尉がこの戦争を運良く生き残ったら、お願いがあります。
     私の家族が路頭に迷い、苦しんでいたなら、助けて欲しい』と書かれています。

これは出撃前の限られた時間に、とっさの判断で書かれたとの設定のはずです。
とても兵舎に戻って、紙を用意する時間はありません。

では、何に書かれていたのでしょう。
操縦席にあった紙か、たまたま持っていた紙のどちらかになります。

零戦の操縦席に間違いなくある紙と言えば、九二式羅針儀の校正値記入用紙。
でも、これは小さすぎて、裏側でも文字数が書ききれないと思います。
作戦図?、飛行天気図?・・、特攻の出撃には無かったでしょう。
だとすれば、軍隊手帳か私的な手帳の1ページを破って書いた可能性が強いのではないかと思います。

双葉社発刊の「永遠の0」の公式コミック版では、添付画像の右側の様な四角い紙に書き込まれ、四つ折りで描かれています。
手ごろなサイズの四角い紙が、たまたま機内にあった、もしくは持っていたと言うのは出来すぎていて不自然です。
私はやはり、添付映像左側の様に手帳を1ページ破いて書いたのではないかと考えます。

因みに、原作には「、」「。」がありますが、走り書きで付けることは考えられません。
コミック版でも削除されていました。

果たして正解はどれか、7ケ月後の映画公開で答えは出ます。
そんなこんなで、原作がどのような形で映像化されるかを想像しながら、楽しみに待つことにします。


 

静岡ホビーショー

 投稿者:21型大好き。  投稿日:2013年 5月 5日(日)08時27分27秒
返信・引用 編集済
  「21型大好き」ことseraです。


昨年、静岡ホビーショーモデーラーズクラブ合同作品展に初参加して1年が経過します。
2012 See you againの看板に励まされて、今年もなんとか出展に漕ぎ着けることが出来ました。

何かと零戦の話題が多い年ですので、今年はすべて零戦で統一して参加します。
展示を予定しているのはメイン展示として、すべて零戦のスケールモデル11機。
それに補助展示として、21型の計器板一式と52型計器板一式です。
12月公開の映画「永遠の0」のエッセンスを少しだけ加味しました。
所沢は遠くて見に行けなかった零戦ファンのみなさん、是非「壱壱倶楽部」のブースにお立ち寄り下さい。

開催日は5月18日~19日、場所は静岡市のツインメッセです。
泣いても笑っても最大5回限りの出展ですので、あと4回です。

.
 

レンタル掲示板
/86